ドミニカ共和国からの運用

                      HI7/K2AC

はじめに

2002年10月実行予定で、HHハイチ共和国への単独DXペディションを計画した。ここは、JAから
まだまだ需要の高いところで現地の常駐局も少なく、しかもアクティビティーが低いからである。
治安や衛生状態が悪いせいかWやEUからのペディションも少ない。それは運用のライセンス入手が
困難なことにも関係していた。

私は運良くHHのライセンス申請用紙を米国の友人から入手し、ハイチ現地局に申請してもらい
無事ライセンスを得ることが出来た。

日本からハイチへ入るルートはいくつかあるが、私の場合日本からニューヨーク経由でその日のうちに
ドミニカ共和国へ入り、コンディション把握の意味もあり、まずそこで数日運用した後隣国ハイチへ移動
することにした。

さすがに単独のペディションとなると資材は大掛かりにならざるを得ない。しかし、荷物はトライバンダーと
ポールをサーフィン・ボード用袋に入れ、水冷のアンプ、そして他機材や衣類を詰めたトランクと、荷物は
3つにまとめた。肝心なPCやトランシーバは手荷物として携行した。

 

ドミニカ共和国からの運用

HIのライセンスは、現地局 HI8RV Chikinにお願いして取得してあった。10月18日日本を発ち、同日の
夕方サント・ドミンゴの空港に彼が迎えに来てくれた。そして、これだけある機材の通関も、多方面に
精通した彼のお陰でほぼ素通りだった。彼は私を車で送ってくれ、夕方暗くなった頃にイタリア人経営で
ビーチサイドのホテルに落ち着くことができた。

翌日、早速トライバンドビームと40m/30m用ダイポールを上げた。昼間炎天下の設営作業はまだ暑さと
時差に慣れていない体力を消耗する。中庭の真ん中に高さ
20mを越すと思われる椰子の木があり、
翌日それを利用した
80m用逆Vの設置を予定した。

ところが、ここで問題が見つかった。どのバンドもノイズレベルがかなり高いのだ。最初どこか近くにノイズ源が
あるのではと考えたが、それも
Chikinとの電話で絶望へと変わった。国内どこも同じようなもので、送電線の
送電方式に問題があるのではないかとのことだ。
160mにおいてHIJAから未交信であり、今回JA7AO
松本さんからも期待されていたが、今まで未交信カントリーである理由が理解できたような気がする。結果、
160mどころか80mについてもJAとの交信は難しいと、そのアンテナ設営を中止せざるを得なかった。

結果、JAとのQSO40m30m、そして20mがメインになった。地元秋田の主だった局はみんな呼んできて
激励してくれた、遠方にいると本当に心強くありがたい。
15mはコンディションがあまり良くなく、Sメータを
振らせる局は非常に少なかった。

 

ハイチへの移動を断念

残念ながら、滞在4日目頃から体調を崩し、持参の薬が生命線となった。この状態で、しかも単独で治安や
衛生状態の悪いハイチに入るのは自殺行為と計画の再考を勧められた。
Chikinやホテルの従業員から聞く
ハイチの様子は想像以上のようだ。さらに、隣国ハイチでも同様のノイズがあったらなどとそのリスクも勘案した
結果、「今回は勇気を持って中止しよう、チャンスはまたある」と自分に言い聞かせた。HHからの運用はJAから
非常に期待されていただけに中止は何とも残念だが、体調不良ではどうにもならない。

予定を全て変更した数日後、ニューヨーク行きの機上の人となった。後で考えると、この決断は正しかったように思う。
唯一の慰めは、まだ人の手が伸びず自然がそのまま残っていた、タヒチ等にも勝るとも劣らないその海の美しさに
出会えたことだろうか。

また機会があったらぜひ訪れてみたいと思った。

                                                         de JA7KAC/K2AC

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海沿い前の椰子畑の中のホテル

部屋からは南国特有の光景が続く

4エレヤギを設置
JA方向に固定

Ped用に特注、伸縮ポールに上げた
40&30mDP
椰子の木に設置

運用先のホテル
裏側にANT設置

ホテルのカフェテリアにて

ホテルの裏側、2階右端から運用

朝方は肌寒く、疲労が蓄積する

プライベートビーチ
砂が細かい

椰子の木は波打ち際まで生えている

海の色は明るいブルーで透明度抜群

設備はPed用の定番になってきた

HI8RV Chikinと
FM放送の技師

Chikinが免許発給に尽力してくれた

朝焼けはいつ見ても綺麗である

今回のQSL