V63A/B   DX-EXPEDITION IN 2005

13〜20 Nov. 2005

 

2005 V6A/B 南の島Pohnpei島 DX Vacation 

 

JA7HMZ/V63DX 井川 昌二

 

今回で1820回目のポナペ島行きが実行されました。今年も昨年に続き160mのヨーロッパとの交信を重点に運用をしました

 

          11月13日(日)

やはり旅行の前と言う事で早く目が覚めてしまった。お土産用の冷凍食品をクーラーBOXに詰め準備万端、搭乗地である仙台市に向かう。途中、市内に住んでいる妹の所に寄って休息。

2時間前に空港到着。荷物はスーツケース、70ℓクーラーBOXWARC Band用のX型アンテナの3個である。検査される事を予想し簡単に梱包してきた。

前の3人が検査中、後の人は検査されない事を聞いていたので、3人が入るのを待って検査場に進む。案の定検査をされず通過。鍵をかけチェックインカウンターで無事機内預かりとなる。出発まで時間があるので3階にあるゴールドカード会員専用のラウンジでコーヒーを頂きながら今回の160mのサポートのお願いを各局にする。

 

定刻に仙台空港を出発、快適なフライトを楽しみながら(ワインの飲み放題)無事グアム空港に到着。乗り継ぎの為、一旦入国手続きを行う。今までは手続き終了後、出発ロビーに戻るのだが今回はグアムに一度入国してから手荷物検査を行い出国となる。出発まで時間があるのでビジネスクラスが利用できるプレジレントクラブというラウンジでビールを頂きながら出発まで待機する(飲み物無料)。

 

ポナペに行く途中の中継地での事。チューク島に着陸。

検疫?の為エコノミーの乗客は全員降ろされシートの下からチェック、掃除機をかけ清掃? ビジネス客は席を移動するだけでOK。その際、コックピットが開いており私は「写真撮って良い?」

「良いよ良いよ」「TNX」なんてやっているとキャプテン「俺どけるからここ座っていいよ」「本当?」写真撮って、撮って・・「操縦桿触って良い?」

 

 

「良いよ」写真、写真・・。こんな事って良いの? 9,11以来セキュリテーはかなり厳しくなっているはず。なのにこんなの「超ラッキー」? と喜んでいました。

 

日付が変わり、深夜015分定刻にポナペ島に到着。冷凍食品を持っていたので税関申告書にちゃんと?記入。審査官の姉ちゃんがクーラーBOXの中身を見るとの事。面倒ながら一応開けるがサッと見ただけで「OKよ」。野菜の真空パックを持っていたのでドキドキHi 迎えの知人と再会の挨拶をし、早速知人宅に。一服後、滞在するゲストルームに入ると出発前にお願いしていた無線資器材が部屋に運び込まれていた。(感謝)明朝の事を考え開封する事無く就寝。

 

          11月14日(月)

前日の疲れもあるが、早く目が覚めてしまう。早速、設置してあるアンテナ、ローテーターのケーブルを引き込みWAE RTTY Contestに参加する。一応行く前に幾らかトレーニングをしていたが、初めてのRTTYにてこずる。JA,Wを中心に順調に局数をこなして行く。今回は前に取得していた新しいコールサインV6Bをデジタルモード用に使用した。

 

 

11時にContest終了、ローバンドのアンテナを設置しようとするが、豪雨!とても外に出れない。この調子ではアンテナ上げもトローリングも出来そうに無いと思い、部屋の中でWARCのアンテナを組み立てながら雨が晴れるのを待つ。昼過ぎに小降りになって来たので、そこの従業員にお願いし一緒にアンテナ設置を行う。最中、これからトローリングに行こうと言う事になり、急いで出発準備をする。(調整は後で・・)

 

飛行場近くのボート係留地に向かう。長年通いつめている地だが、風景は何にも変わっていない。左手にポナペのシンボル、ソーケスロックを見ながらトローリングに出発。

 

今日は今までと違いシーラの大群だ。結構引きが強く、駆け引きが大変だ。その後、カツオ、マグロが釣れて来る。3時間ほどで帰島、久しぶりのトローリングで腕がくたびれた。肩が凝る。幸先良く大漁だ!!

 

帰宅後、急いで160mのアンテナ調整をする。BC帯の混信で持っていったアンテナアナライザーが使えない。行く前にJA7AO松本さんに付属部品を貸すよと言われていたが、大丈夫と思い借りないでしまった。アンテナはAkiスペシャルを使用、垂直部10mである。今回の為に垂直部を幾らかでも伸ばそうと10mのグラスポールを準備したが、先日来、某国よりのノイズの為、期待薄と思い置いて行ってしまった。1840に合っていたが、面倒で止めてしまった。案の定、夜間は弱いながらもノイズで何も聞こえない。ちょっと飲みすぎたようで短時間の運用で就寝。

 

 

          11月15日(火)

スケジュール通りヨーロッパ向けに0530(0330JST)に起床。160mはノイズで何も聞こえない。7MhzQSYEUを中心にQSO。これから毎日0330JSTに起床するのは大変だHi 朝食後、キャピタルに無線免許の更新のため行くことにしたが、一応担当者がいるか確認の電話をする。担当者はいないがボスがいるのでOKと言う事で、担当者の親類だと言う従業員を連れキャピタルに向かう。

 

担当部署に行くと無線関係の担当者が今日の飛行機で隣の島から帰ってくるので、明日一番に来て欲しいとの事。諦め帰る事にする。

 

帰り際、道路脇に咲いている草花の写真 を撮る。花を好きな人は一日中見ていても飽きないだろう。(オセアニアの草花約700種類が全部あると言われている) 

帰宅後、アンテナの再調整。前夜、雨が降っていたので同調がずれ1820に合っている。これで良い事にする。

早めの昼食後、ビールを飲んで昼寝をする。「トローリングに行くよ」との声に起こされ急いで下りて行く。前日、うまく日に焼けようとしてサングラス、帽子をかぶらずいたら日に焼け過ぎ、夜眠れなかったので今日はしっかり防備する。今日もシーラを中心に釣れる。

 

もうこれでお土産用の魚は十分確保した。釣った魚の頭は持ち帰っても役に立たないので、3枚におろして急速冷凍にする。貰った方も面倒でないし、その分多く持ち帰ることが出来るのである。帰宅後、シャワーを浴びビールを一本、食事まで一本、食事をしながら一本、そして持って行った日本酒は飲みつくしてしまった。知人とのコミュニケーションが一番なのでどうしても酒量が多くなってしまう。その結果、無線を運用が少なくなってしまった。一にコミュニケーション、二にトローリング、三に無線、これは仕方ないでしょう。結局、店に置いてある焼酎2本を頂いてしまった。早めの就寝20JST

     1116()

 

朝食後、昨日の従業員と共にキャピタル向かう。担当者が在席、「久しぶりだねー」なんて話をし、免許の更新をお願いする。

順調に話が進み、今日の夕方までに知人宅に届けてくれる事になった。こんなに話がうまく行った事は久しぶりである。あっちこっちで写真を撮り、帰宅。昼食後、昼寝。こうしないと体が持たないHi その後、トローリングに出発。今回は丁度貿易風が吹き始め、結構波が高くなって来ていた。風下に移動し、トローリングを楽しむ。時期的にトローリング終盤と思われた。夕方帰島。夕食後、早めに部屋に上がる。テーブルの上には更新されたライセンスが届いていた。

 

早速160mをワッチ、ノイズは無い。しかし、予定していた1828はビートで使えない。あっちこっちにビートが出現しており使える周波数は限られてしまう。NCの具合は良いようだ。近くの冷凍庫からのノイズはきれいに消える。しかし、突然の南国特有のジャーと言うノイズには効かないようだが、結構重宝した。1822CQJAに混じってWが呼んで来る。JAにはQSBがあるようだ。順調にQSOが進む。明日の朝が楽しみである。

     1117()

3時半に起床。1822CQを出してみる。早速、ローカルのJA7ZP舟木氏が呼んで来てくれた。こんなに早くから付き合って頂き感謝で一杯である。その後、土曜の朝まで付き合ってくれた。クラスターにUPしてくれたので、効果は抜群である。しかし、待望のEUは聞こえない。日の出まで頑張るがJAだけである。7MhzQSY。日の出から1時間位で何も聞こえなくなってしまう。朝食まで一寸であるが横になる。朝食後、帰りのチケットのリコンファームを航空会社に電話する。過去にリコンファームをしたのにかかわらず、オーバーブッキングで帰りの座席が無かったことがある。その時はビジネスクラスに乗せてくれたのでラッキー!? 要注意である。その後、市内にお土産を買いに出かけた。市内も相変わらずの様相であるが、車が多くなったように思われた。今日は知人宅の会社の給料日。トローリングは無理と言われていたが、大急ぎで明細書を作り、準備万端、昼から出かけることになった。トローリングも4日目になると日に焼け、顔が真っ黒である。これには失敗した。写真を撮っても黒いし、帰国した時には狸のようになっており、職場にはどこに行ったか説明が大変であった。夕食後160mをワッチ、今日もクリアーだ。ローカルの皆さんが呼んで来てくれた。短時間の運用で就寝。

     1118日 (金)

今日も3時半に起床。1822CQを出す。舟木氏が逐一クラスターにUPしてくれたので呼んでくる局が多い。0349JST RA4LWが呼んできた。Uゾーンであるが待望のEUである。日の出前後20分位が勝負のようだ。0430JST太陽も完全に昇りきり、160mはノイズだけになってしまった。明日に期待しよう。ここら辺で疲れもピークに達したようだ。

 

出発前にポナペ島のシンボル的な山、ソーケスロックについてレポートがあった。「車を置いてから徒歩20分位で旧日本軍の高射砲陣地が在った所に行ける。眺望の良い場所がある」との情報で、山の麓から来ている従業員を連れて出かけることにした。彼とは16年来の知り合いで私とは同い年であるが、体型は私より丈夫である。

 

車止めに着いて道路を見上げると、胸突き八丁の急坂道である。最初は順調に?登るが直ぐに5分歩いて10分休む様な状態になってしまった。(彼は仕事をしないで私のガイドをするのでラッキーと思ったようだが、多分後で後悔したと思う)休み休み登ること30分、やっと尾根に登り着く。

 

そこにはヤシの葉で葺いた休息所とトイレがあった。尾根は草木がうっそうとしており道路は濡れていた。その時私はビーチサンダルを履いており良かったと思った。わだちになった道を歩くこと10分、ようやく携帯電話用の中継アンテナのある場所にたどり着いた。

 

 

 

「無名戦士の碑」に一礼。一歩登るとすばらしい景色である。思わず「ビューテフル」と叫んでしまった。20回目のポナペでこんな風景に出会えるなんて最高です。

その場所には高射砲の基台があり、その上に各種中継用のアンテナが設置されていた。しばし時間を忘れ、風景に見とれてしまう。一度は登って見ることをお勧めします。

休息所まで戻ると、草木の陰に高射砲陣地が見える。手入れされている様で壕の周りには綺麗な蘭の花が植えられている。高射砲二門は当時の面影を朽ち果てることなく残している。破壊されずに残っていた意味を考えさせられてしまう。

 

良くこんな山頂まで運び上げたものだ。地元の人の話では日本軍はマンパワーで山道を削り、担ぎ上げたとの事。壕の周りには部品が散乱しており、やはり攻撃を受けてしまったのか。と思ったのも束の間、濡れた部品に上がり足が滑ったのである。

右足の親指を岩にぶつけてしまい、生爪を起こしてしまった。なんで持って行ったズック靴を履いて行かなかったのか。ザンネーン!

この事は帰国するまで影響するのである。やはり疲れで注意散漫になっていたようだ。出血した痛い足を引きずりながら下山。帰宅後、消毒手当てをする。それでも昼からトローリングに出かけてしまった。帰島後、160mのアンテナについて、今までの状況からすると木、金曜日の2日間しかノイズが停止しなかったので撤去しようか迷ってしまう。今、撤去すると明日帰国の準備が楽になるのだが、考えた末、明日の朝まで残すことにする。夕食後一杯やった後160mに出る。CQを出すとJA3の局が呼んで来た。その後、松本さんともQSOQSBがあるようだ。しばしJA,WQSO。就寝、明日に備える。

     1119日 (土)

 3時半起床。今日で早起きも最終日だ。早速CQを出す。0335JST UR0MC(ウクライナ)が呼んで来た。コンデションは良さそうだ。その後Uゾーンの局が多数呼んでくる。0430太陽が昇りきった。アンテナを残しておいて良かった。今回はノイズの事もあり、EUとのQSOは大きな希望は持っていなかったのである。その為、運用周波数、運用方法について考える余裕が無かった。一人で考えるとどうしても妥協してしまうのだ。又、Uゾーン以外にEUQSO出来なかったのが残念である。そして時差が2時間あるとしても毎日0330JSTに起きるのはつらい。次回は同行者を募らなければ。V6のカントリーでEUQSOするならばYAPが良いかもしれないが、仙台からだと乗り継ぎが悪く、行っても帰りの便が悪い状態である。私にとっては釣りも出来ないから無理である。

 

 朝食をはさみ、アンテナの撤去を行うが知人の好意により、今回もルーフタワーと設置したアンテナはそのままにして置くことにした。又、次回は従業員にワイヤー用のポールを事前に設置してくれるようにお願いしてきたのでもっと楽にQRV出来そう。

 

アンテナの撤収後お土産用の魚をクーラーBOXに詰め方をする。ビジネスクラスは32kg/3個機内預かりが出来るので量りとにらめっこしながら、持てる範囲内で一杯に詰めた。

1130分のチェックインだが、荷物が多いので早めに空港に向かう。荷物は完全に開かれるので梱包しないで持っていった。

 

待つ事1時間、チェックインが始まった。やはり全部開けさせられクーラーBOXの中身はビニール袋に詰め直さなければならなかった。カウンターの横で詰め直しだ。皆が興味深そうに見つめている。こっちは大汗をかきながらの作業だ。帰りのクーラーBOX2個。自宅には冷凍庫を片付けて置くように言ってあるが入りきりそうも無い。無事チェックイン終了。一旦知人宅に引き返し昼食をご馳走になる。

 

 あっという間の1週間 だった。別れの挨拶は辛いものだが、最近は「また来まーす。」と言った感じで次回の再会を約束しながらの別れだ。今回もPC、デジタルモード関係の一式を置いて来てしまった。次回は着替えだけで行けそうだ。

 

 時間ギリギリまでPCに向かっていたので、お礼の挨拶もそこそこに空港に向かう。出国税$10を払い、チケットを受け取り出発ロビーに入る。エアコンが入っているが効き目が弱いのか、皆が汗をかいている。窓を開放したほうがかえって涼しいのに。一応国際空港なので、お客様サービスなのかもしれない。定刻より30分遅れでグアムに向かう。

 

 

ハワイからの便なのでパイロットが3名乗っている。隣の席に交代のパイロットが座っており、ポナペでの話で盛り上がる。当然私はワインをご馳走になっていたのだ。飲み過ぎはいけない。

 

中継地チューク島でもコックピットが開いており、来る時と同じ事言ったら「良いよ」との事。前回と同じく操縦桿を握り締め、写真撮って「ピース」!!

 

 

 

グアムも近くなってきたので、お代わりを断るのだがアシスタントパーサーが「30分近く遅れているし、これを残せば後は捨てるだけだから全部飲んでよ」。ボトルに少し残っていたので、全部注いで貰う。酔ったようだ!

快適なフライトで順調にグアム空港に到着。荷物が出てくるタウンテーブル前で荷物を受け取る。ここで1つ目のポカをする。荷物が多いのでスーツケースを取り忘れてしまった!係員にもう一個荷物あるよと指摘を受け、事なきを得たが今度は税関検査でクーラーBOXを開けられることなった。中身があぁだ、こうだの話をしているうちに2つ目のポカ。足の親指を怪我していたので、靴を履けなかった為袋に入れ持っていたのをそこで落としてしまったのである。気が付いたのは空港の外に出た時である。こうなれば後の祭り。逆戻りは出来ないのである。

しかし、良い事もあるのだ。丁度、いつも利用しているHilton Hotelからの迎えの車が来ていて、予約はしていないが乗っても良いとの事。荷物を満載しHotel到着。送迎料$5は取られなかった。クーラーBOXを冷凍庫に保管してもらい、無事チェックイン完了。曜日によって宿泊料金が変わる(65100)のだが、今回は$100の部屋しか無かった。後でスーツケースを部屋に運んでくれるようにお願いし、12階の部屋に向かう。いつも泊まっている棟のエレベータに乗るのだが12階は無いのだ。別棟のエレベータを探し12階のフロアに向かう。前のV6T1の時JA7KAC佐々木氏と泊まった時と同じフロアだ。部屋に入ってみると超豪華。テーブルに果物、飲み物が置いてある。このフロアはラウンジで飲み放題、朝食付きである。$100でこんな部屋に泊まれる訳が無いのでフロントに下りて行き、部屋を間違ったのではないかと尋ねるとなんと「お客様の会員資格はVIP会員にアップグレードされており、部屋をアップグレードいたしました」との事。

今まで数回泊まって入るのだが前回より1年以上経過しており、いつも$65の部屋なので?? 何でも良いや「ラッキー」あまり深く考えないことにした。この間にスーツケースが部屋に運び込まれており、チップを払わないでしまった。これもラッキー!?

 

 この後バスに乗って靴を買いにスーパーに向かう。バス賃はどこで降りても$2.ホテルに無料乗車券があったような・・・ このショッピングモールには色んな国の食事が楽しめる広場(屋内)があり、自由にトッピングし合わせて幾らといったものでした。この日は呑み過ぎ(飛行機で)と疲れで、缶ビール2本しか飲めなかった。でも腹一杯食べて飲んで$10はしませんでした。いつもはホテルのレストランで$25もするディナー(それが一番安い)を食べていたので安く済んでラッキー!久しぶりのネオンが眩しかったが就寝。

 
     1120日 (日)

 

 さわやかな朝だ。夜明けの空港ラウンジでコーヒーを飲みながら出発を待つ。靴の行方を係員に尋ねるが判らないとの事、皆でたらい回しにされた。定刻に仙台に向け出発だ。早起きをしたのでシートを倒し眠りに付く。しかし、いつもながら寝入ったと思ったら朝食である。もうワインは飲めないのでコーヒーで我慢をする。来る時のビジネスクラスは満席であったが、帰りは3名だけであった。

 定刻に無事仙台に到着、自宅に連絡をする。最後に3つ目のポカが待っていた。駐車場でクーラーBOXをトランクに入れようとした時、スッポリ入り重さで体がトランクに引き込まれ、額をトランクの鍵に思いっきりぶつけたのである。額は腫れるし、足はズキズキ。本当に参ってしまった。夕方、自宅に到着。風呂に入り足を伸ばし、肩までユックリつかってようやく日本に帰ってきたことを実感した。

     ポナペの 近況

観光客の減少からか、数社在ったダイビングショップが1社だけになっていた。燃料費も高騰し(昨年の2)ボートを出すのも大変なようだ。地元の漁師も一発勝負の世界で、釣れなければガソリンが高く次回はボートを出せない。ボートが動かなければエンジンの調子も悪くなる。こんな感じで少々波が高くても無理して漁に出るようです。

 

街には至るところに犬が一杯いるのです。飼い犬?野良犬?か判らない状態です。観光客にとっては追い回されるし非常に怖い存在なのです。そこで市では街で犬を飼うには税金を払わなければいけないことにした。(税収不足の為の奇策)取れる所から取ってしまえといった考えの様です。しかし、野良犬みたいのを飼って税金を払う人は誰もいません。そんなんだったら食べてしまうHi 向かいの家の犬は来年会えるかな?

 

電気は売る物?買う物? ポナペの発電所は山の中腹にあります。今回の石油価格高騰で、ディーゼル発電の電力会社ではもろ影響を受けてしまった。今までは集金に行っても集金人が親戚だから取れない、払わない、挙句の果て「ばん刀」を振り回され逃げ帰って来たなんて感じで、払わなかった人が多かったようです。そこで一計を案じた電力会社では電気を前払いで売る事にしたのです。

仕組みは引込み線とブレーカーの間にテンキーの付いた器具を挿入、住民は営業所に行き電気を買うのです。例として$100分の電気を購入すると、前の支払っていない借金分を$10020%を差し引き、$80の電気を売るのです。そうすることによって電力会社では確実に借金分を回収でき、取り損ねを免れるのです。そこでパスワードを貰って家に帰って器具に入力します。使用電力の消費量によってランプの点滅が早くなったり、残量も判るのです。但し、3相は器具のコストが高く、今までどおり後日集金しているようです。こうなるとホテルに泊まって無線を運用する場合、別料金を払わなければならない事になるかも知れませんね。

     おわりに

今回の旅は、余裕の無い位、充実した日々でした。何もかもポナペの知人のお世話になり、無線に関してはローカルの皆さんに援助をはじめ沢山のお世話になりました。この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございました。来年も行きます。今度は皆さんも一緒に行きましょう。夢は見るもの?叶えるもの?

 73  カセレリア V6A/V6B 井川昌二

    160mのヨーロッパに重点をおく理由

井川さんによるミクロネシア連邦からの160m運用は、1988年の 初回のペディション(コールはKC6SI)から行っています。その後プリフィツクスがV63変わってからもV63DXででJAにサービスしていたのですが、近年はほぼ要求を満たしたことから、ハイバンドやWARCバンドでEUやECからのリクエストが多くそちら中心にQRVするようになっていました。

 最近のローバンドブームでEUからは160mをと言う要望が多くなりました。
かの有名なON4UNは160mでは300エンティテイにあと少し、80mではBS7,7O,P5,のみ残っているとのこと、その数少ない未交信の中に何とV6が入っていたのです。その他ON4UNに限らずヨーロッパの著名なトップバンダーの中にもV6とのQSOを望む人が多かったので、2004年からは160mのEU向けをターゲットにすることになりました。このことはJA1ADT佐々木氏を通じてジョンにも伝えられ、彼もトライしたのですがコンデションの良いところに当たらず、OH,SM,OK,止まりに終わりました。

今年も継続でV6−EUメインで計画しました。ところが計画後にON4UNがAPDXCのゲストで訪日が決まりました。
井川さんは仕事の性格上、休暇の申請は相当の期間を置くことが求められているため、取得した休暇の変更が出来ず、皮肉にもV6でEU向けQRVしているときにジョンは大阪、東京に滞在中でした。

下の写真は11月17日夜JA1ADT佐々木氏とON4UN JOHNがその話をして残念がっている2ショットです。来年は是非!!。


 

 

 

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